路地裏・界隈こそ街の素顔

 

町ではなく街、その街のぬくもりになくてはならないものが路地裏とその界隈の

ふところの深さにあるのではないでしょうか。

鎌倉散策の愉しみは、路地裏探訪にあります。

 

 

 

 

          小町大路(辻説法通り)特集      2012

 

移転した白萩も、少しづつお客さんの来店も増え、ようやくほっこりした時間が過ごせるようになりつつあるかなと感じています。足を運んで下さるお客様には、旧小町通りに比べて大幅にコストが下がった分、何らかの形で還元出来るのが嬉しいのです。  単にセールばかりではなく、近隣の友好店とのコラボを実施し好評を得ました。

今年も皆が愉しめる輪を広めてゆきたいと考えています。

先ずもって”脱小町通り”そして、鎌倉時代からの市民の生活道路だった辻説法通り”小町大路”の再発見から今年の路地裏散策をはじめましょう。

Vol. 9-Ⅱ こどもの音楽再生基金

 

 

     山内派・鎌倉道場の体制が9月に整い、今年度の稽古料を支援金として

     お使い戴く民間支援活動が決まった。

       School Music Revival   ”こどもの音楽再生基金”

     被災地の小・中・高校での楽器の点検・補修・修理・補充を目的

     とした基金。

     数ある民間支援活動から選んだ理由は、成人した愚息

     二人とも中学でブラスバンド部に入り、反抗期と云う自立心の芽生える

     時期に、ひとつの目的に向かって人と人が息を合わせ、独りでは絶対に

     味わう事のできない”場”の高揚感を体験できた事で、”居合う”事の

     大事を心に刻んだに違いないと信じているからである。

     被災地のこども達にほんの心ばかりのエールしか送れないが、決して独りでは

     ない事を信じ音楽による”居合える場”を広げていって欲しいと希って止まない。

Vol.12 丁度1年目の花占い

                初期伊万里葡萄紋染付壺&紫陽花                 初期伊万里葡萄紋染付壺&紫陽花

 

 

     このホームページを立ち上げて丁度1年目を迎えました。

       苦手なパソコンと悪戦苦闘すること12ケ月。

          お客さんに励まされ、尻タタカレ、ヒリヒリしながらやって,マイリマシタ、デス。 

 

          ときに、今年は紫陽花が散々でした。

   去年の紫陽花は鎌倉の露地何処を歩いてもほんとに見事でした。

   写真の紫陽花、やっと今年はじめて、あばら家を飾った花です。

  

  

 

vol.11   再訪・水の道

 

         水の道

 

だれしも、そのまま歩き続ける事が出来そうにない人生の節目のような時が訪れる。私の場合は、それが丁度25年前だった。何故そうしたのか今となっては思い出せないが古来からの水の道を辿る旅に出たのであった。

若狭湾の入江の夕陽からはじまって十一面観音像の安置されている寺々を廻り、意外にも唐招提寺で旅を終えている。今回の東北関東大震災で、ふと、その中断した水の道の答えを確かめてみようと思い立ったのである。

               (唐招提寺内陣の土塀) 

 

 

 

 

          かくれ仏  

              (25年前のさまよい)

 

 

 風がおこり、夕立がきた。

唐招提寺の宝蔵殿の板敷きの床に膝をおとして,十一面観音像を仰ぎ見た一瞬であった。  去り難く、時を忘れたゆえの僥倖(ぎょうこう)であろうか.

絶える間のなかった人の声や足音が、ふいに忍び寄る秋の夕闇に吸い込まれるように消えて・・・見廻せば、如来のトルソーを前に動かない妻と二人きりになっていた。

こうした恵みもあればこそ旅がある。

 

東京での、唯、流れ去る表層を装う生活では、素直に感応するありのままの心が、 曖昧に膨れすぎた観念のオリに閉じ込められてしなびてしまっている。

感動の余韻の中でふと思うことがある。

吾を忘れて、あの瞳孔がみひらかれる刹那、どんな呆けた姿を晒していても、まず、私の一番の表情であるに違いないのだ。

”風になってしまうのかな”と仄暗いみ堂に声が響いた。

”多分・・・ムリね"と、暫らくしてつぶやく声が耳に入った。

 

生活をはじめて、11年目での二人だけの旅には、この夏にゆらめいた陽炎の名残りがあった。

夏は、小浜から若狭湾一帯をめぐり歩いた。

湾の入り陽、さざ波立つ汀(みぎわ)にまでひらかれた光の道の彼方に、

あの十一面観音のみ仏の像がいます。

今、ふたつながらの遙かな記憶が重なり合って、私の裡に、新たなかくれ仏が象(かたち)となった。

 

   

               東洋古美術情報誌 不言堂第3号に掲載

 

 

 

やはり、あの時水の道の旅を中断せざるを得なかったのだと感じた。

25年振りに唐招提寺に足を踏み入れてみて、そのことだけは妙にはっきりと解った。

”ないよね”幸運にもまた二人きりとなった宝蔵殿で互いにポツリと出た言葉だった。

あの、十一面観音像を仰ぎ見ようとしたその刹那、風がおこり夕立が来たのだ。

そのときの私達を貫いたなにか、それをあの文章に表そうとしたのだと思う。

そして中断された水の道の旅は、やがて、冬ざれた海へ導かれて終わっていた。

 

 

             海へ

 

             

 

    海鳴り遠く

         ビリビリと皮膚がひきつれる

    人気ない海辺は

       たゆみなく織り紡がれた鉛色の絨緞が敷き詰められ

    天からは

       ほのかな水が降り注がれて

    芳しき未来への誘いと

       虚無のうちに息絶えたもののにおいとが

         混淆(こんこう)し、異様な調和を成して

          うらぶれ、さびれた漁村の入り江で私を待っていた

 

     一歩・また一歩

       幾重にももつれあう織糸がきしむ

      雨しげく

          海しぶき

              波おどり

                   なお昏い

 

    おどろに浮き立つ白い波頭

          

     この荒海を統べるなにものか

 

      孤魂の裡をつらぬいて

            一斉に鬼太鼓がとどろく

     あらゆる生命の

       転生(いまわ)のときを捉え連打して

 

    海は

                    うねり

             高鳴り

      高み

                  

             虚空に舞った                           

   

 

                            かんしょう表紙裏タイトルバックに掲載

 

VOL.10 2010:3/10 vs 2011:3/11

 

覚えておいでだろうか?

東国の鎮守府・鎌倉鶴岡八幡宮の御神木、実朝暗殺の舞台にもなった大銀杏の木が夜来の強風に倒木すると云う凶事があった事を。そう丁度あの日から一年目、千年に一度の大震災が起こった事になる。偶然にしては、余りに符丁が合いすぎている。

今朝明け方、再生を賭けた2本の大銀杏に願を懸けに行った。

VOL.9 お互い様支援ネットワーク

 

義捐金はファンドが大き過ぎ、市民感覚として、自分達の出せる範囲のお金では、もっと直接実感として納得できるアプローチがないものかと思って居られる方々は決して少なくないように思う。私もその一人だからだ。

個人として私が出来る事、そしてこれからずっと持続可能な支援として、無雙直傳英信流居合術・山内派・鎌倉道場の稽古料全額を、毎月支援金として使って頂く事に決めた。嬉しい事にこの4月から門人となった30代の2人とも、ボランティア活動を行って居り、被災地での炊き出しを行う活動に役立ててもらう事になった。

本日4/6日付けの読売新聞朝刊に支援金の募金の記事が掲載されて居り紹介したい。

1、アムダ(NPO法人)避難所などに医師を派遣。

1、日本フィランソロフィー協会・どの支援活動の団体に募金を振り向けるかを選考

  し振り分ける。

1、中央共同募金会・”災害ボランティアのための募金”口座新設。

他にも、直接ボランティア団体の募金もあるようだ。

1、チャリティープラットホーム  で検索 

いよいよ、民間の”お互い様支援ネットワーク”の活動の春が来た。

 

vol.8 帰って来た源氏池のお主と白拍子

 

鶴岡八幡宮の境内、源氏池の畔で、早朝体操がある。もう、5年以上にはなるだろうか、雨の日以外はなるべく参加して来たが、福島原発で見合わせていた。

私にとっては皆さんが帰った後、源平茶屋の裏で源氏池を見ながら、木刀での素振りで約1時間程独り稽古をするのが、一日の始まりにもなっていた。

知らずしらず如何に今回の大震災に塞ぎ込んでいたかを思い知った。やはり、御神木の大銀杏が倒れたという凶事は、徒事ではなかったのだと思えてくる。

実は、もうひとつ気がかりな事があった。源氏池には体長1メートル程にもなる黒鯉がいて、昨年春の終わり頃までは、殆ど毎日姿を見せてくれ、その悠然とした姿から”お主”と呼んでいた。そしてお主が現れると、寄り添うように体長80センチ位の真っ白な鯉が泳いでくる、その白鯉には”白拍子”とあだ名をつけた。それが春が過ぎて、2匹ともふっつりと姿を見せなくなったのである。秋に2,3度白拍子だけ見かけたが、”お主”は姿を見せぬまま、一年にもなろうとしていた。心の底では、さしもの”お主”も寄る年波には勝てず、命を終えたかとあきらめていた。久し振りに気を入れなおして出掛けた昨日、源氏池の何時もの場所に、悠然と泳ぐ”お主”が姿を現したのである。いっぺんに救われる気がして”おぬし!”と叫んでしまった。白拍子もいる、無事で何より、元気で何より、また会えた、そう心でつぶやいた。

          お主                      白拍子

Vol.7      一大事

 

                        2011/1/23

 

 今年を象徴するような一大事が降って湧いたように我が身に押し寄せた。昨年師走からその事に奔走せざるを得なくなり、しかもリフォーム中のまま年を越した事も手伝って、1/23日の一大イベントをなんとか無事に終え、やっとほっとできる時間が持てた次第なのである。

ブルガリア大使館のわれらが居合術の同門(無雙直傳英信流・山内派)だった人から依頼があり、首相を筆頭に、主要閣僚の公式代表団19名他、総勢75名の訪日団が山内派の居合を見学したいとの申し出を受けた。宗家の京都・そして大使館員の方が入門された大阪支部・並びに鎌倉道場の総力を結集して1月23日の演武披露会の段取りを、一手に引き受ける事になったのであった。

ブルガリア首相は晩年のショーンコネリーを髣髴とさせる深みを増した伊達男と云う大人物で、空手7段の猛者でもあられた。そのせいか、SPの方々はもちろん、VIPや随行されている殆どの方も存在感のある人ばかり、揃って会場入りされた時はちょっとびびってしまった。

今年のテーマ"JAPAN"にことよせて、やはり海外の日本古来の武術や文化についての関心の高さは我々日本人の想像をはるかに超えるものであると感じた。

私もこれまでは、もうひとつの顔を表にださず、余り目立たぬようにして来たが、日本古来の伝統文化の歴史的伝承形態を受継ぐ者の端くれとして、そのミッションを果たすべき責務の重さを身をもって感じた。

 

別途ホームページを開き、山内派鎌倉道場についてご案内しますので、関心のある方は追ってご覧戴きたい。 (アクセスにリンク先作成)

Vol.6       戻り道

 

 

 このわずか2・30年で鎌倉の風情は一変してしまった。あの文士達に愛された古都鎌倉のたたずまいは将棋倒しのように喪われつつある。

鎌倉路地裏散策ではそれを探し、戻り道と云うテーマでシリーズ化してゆきたい。そして一人でも多くの心ある方々にお伝えし、共に大切にして頂けたらと希っている。

何はさておき、その巻頭を飾るにふさわしい古都鎌倉としてご紹介したいのが、小町通り最も奥の、寿福寺側と反対方角の右に入る路地の突き当たり、と言えば古美術ファンには心当たりの有る方もあろう。今や、文人達の愛した鎌倉の風情が漂う、取って置きのたたずまいと言って過言ではあるまい。 

 

       

 

 

其の壱       茶房 するすみ

 

”するすみ”さんの名前の由来はなんですか?といきなり不躾な質問をした時、

梶原景季の宇治川の合戦で先陣争いをした愛馬の名です。とお嬢さんの方がお答えになったのにちょっとどぎまぎして、一瞬イメージが浮んで来なかった。

あ々!源太・梶原の源太景季!木曽義仲の軍勢が宇治川を挟んで待ち受ける中、佐々木高綱の白馬(池月)と先陣争いをした黒毛の馬か。

カゲスエと聞いた時は頼朝の肖像画しか浮かんで来なかったのに、源太かと思った途端に、まるでパノラマのようにあの水嵩を増した時の宇治川にザンブと馬を乗り入れたバサラな若武者二騎の絵姿が浮かんで来たから不思議だ。

なるほど、お店の花飾りは古い鐙に野の花が活けてある。それにしても、今時の女人には有り得ない事と思っていただけに、それがなんだかちょっと嬉しい。

今日は先客がいて、白萩の上得意のするすみファンの方とご一緒する事になった。

お品書きを見ると、まず和歌が添えてある。

   あさち゛原

       露しげき庭のきりぎりす

            秋ふかき夜の月に鳴くなり

 

                     源実朝

 

 和歌を添え、それに因んで、創作の生菓子としてお出ししていると言われる。

   本日は、 ・菊衣 ・あさじの月  とある。

 

さっそく、一の膳が供される。蒔絵の膳に椀物。蓋をとると、繊細な線でびっしり描かれたすすき絵の蒔絵の中に、いちじくの胡麻和えである。いちじくの一片をお箸にとると、実の中の繧繝彩色のような淡い紅色が秋を呼び、しばし見とれてしまう。  いちじくは大好物なのだが、この椀の中の景色が消えてしまうのがなんともおしい。でもおいしい・・・・。

くだんの生菓子は、京の書院に映りそうな蒔絵のお重でのお出ましである。

昨日のお休みは全てこの生菓子作りに入れ込まれたらしい。

二の膳は先程とは違う蒔絵の膳に、薄の蒔絵皿。抹茶椀は星屑のように御本がちりばめられた李朝の堅手茶碗である。

同席された方は、”するすみさんには、ここでしか味わえない、良い時間が流れている。”と私に語ってくれた人であり、その言葉がきっかけとなって、京都の知恵が何であったかを私は気付く事が出来たのだった。

今日するすみさんで偶然鉢合わせになったのも、そのご縁があっての事と思えた。

 

 

 

                 するすみさんは現在休業中です。宜しくお願い致します

 

PartⅡ Cafe bee

本を片手に珈琲を愉しめるお店と云うのは、大切な場所である。  私の骨董の友人の一人などは、行きつけの珈琲店が無くなって、もうこんなところに住むのはごめんだと喚いて3ヶ月は周囲の者を困らせた。白萩の最初の2階のギャラリーもそうだったが、無くなってみると突然精神のバランスが崩れるのである。これには私もどうにも収まりが付かなかった。

さてさて、戻り道PartⅡは前回紹介した”するすみ”さんから駅寄りの2本目の路地を入った突き当たり、と言っても小町通りから見えるからご存知の方も多いと思われるが、Cafe beeさんである。

アート露地

 

 

軒先のような細い路地に画廊が存ったりするこの路地裏は私の散歩道である。

cafe beeさんの奥に入る路地から右に折れる。 これは家々の庭先を通らせて頂くような露地で、本当は明かしたくない大切な・戻り道であって欲しいのだが・・。

 

 

Vol.5        古都くらべ

京都武徳殿での5年の修行が明けてから、10月2日に開催された無雙直伝英信流居合術・山内派の大会が1年ぶりの京都であった。

修行に入った当初は"一見客お断り"に表象される京都的なるものは肌に合わないと始めから身構えていた。

しかし、すこしづつ扉が開いてみると、歴史に翻弄されながらも日本人の心の中で動じる事のなかった”都”として積み重ねられてきた諸々の厚みを感じない訳にはいかなくなっていった。

一言では難しいが、視えている、或いは見せている部分はトカゲのシッポみたいなもので、インサイダー(同朋)になるには、視えないもの、例えば共に良い時間を愉しめる人か否か、と云うような事が厳しいのである。どうやら、信用というのはそう云うものを指しているらしい事が段々と判って来た。

一方鎌倉は”来る者拒まず、去るもの追わず”というあっけらかんとした気質が"らしさ"ではあったが、これほどまで荒されてしまうと、京都に倣って、視えない核心はそれを共有出来る人達で守り抜いてゆく事を遅まきながら始めなければならない。

鎌倉に戻り、小町通りを歩いて、このままでは元も子もなくしてしまうと感じた。

  

 

 

 

Vol.4       流鏑馬神事

 秋の大例祭の華、流鏑馬神事が9月16日に催される。今年は残念ながら休日ではないので、実況見聞記をお届けしたい。

今年の流鏑馬神事は、小笠原流御一門によって執り行われる。

ご当地に幕府が開かれていた時代には、もののふは弓とり者とよばれ、

武術としては、最も重きが置かれていたと見られる。従って、この流鏑馬こそ、

鎌倉武士の活きた絵巻のように鑑賞して頂けたらと希うのである。

追って、その愉しみ方について、実況してゆきたい。        (9・13)

 

            早朝稽古(15日)

 

 

 この早朝稽古が最も見応えがある。何故かと言えば、本番は沢山の人がひしめき合い、何度注意されてもフラッシュをたく不心得者が後を絶たず、神経質な馬が

どんな反応を示すか解らない為、射手は不測の事態を招かないよう、その事に神経を配らねばならず、人馬一体となって風になるその一瞬に集中出来ないからだ。

明朝(6時半頃)も稽古は行われる。本当に見たい方は先ずそれをお勧めしたい。

 

    本番の愉しみ方 (16日)

 

 さて、当日は午前中から人手が増え、開始の午後1時頃は人垣でよいポジションを

確保するのは難しくなる。そして事前のセレモニーも長く、第一順が終了すると、3割くらいの人波が崩れてゆく傾向がある。

しかし、流鏑馬の見所は少し場境に慣れてくる第二順からで、スピードを増す馬の走りの調子と、リラックスした射手の拍子とが一体となる躍動感のある醍醐味が味わえる。

その人出の引いた頃合を見計らって第三順までじっくり腰を据えて見て頂きたいのである。あたかも、絵巻の中に獲り込まれた様な深い感激の余韻にみたされよう。

 

  流鏑馬神事ー2010

 

 

Vol.3      夕涼み

残暑がどんなに厳しくとも、夕暮れになればほっと一息付けるのがうれしい。

昔は、子供を連れて銭湯へ行くのがこの季節にしかない楽しみであった。

その頃は鎌倉駅周辺にも二軒の銭湯があり、番台をくぐると大抵ステテコで職人風(鎌倉彫)の爺さまが3.4人はいて、なにくれと子供達にかまって遊ばせてくれたものである。これが息子達には記憶に残るシーンになったらしい。

帰りに、路地をブラブラ行くと大抵縁台にステテコ姿の爺さまが夕涼みをしていて、間が良いとスイカのご相伴に子供たちはありつけたりする。

そうした何気ない人情や情景というものは、人が育つ為の原風景なのではないかと、ふと思う。

かつて、天安門事件の1年前、北京から瀋陽を経由してソ連との国境の町まで火車

(汽車の事)で行き、そこからジープで大草原を抜けてフルンノールの湖に旅した時、

街角で写真におさめたシーンの殆どが、数人の子供たちがしゃがんで爺さまを囲み、目を輝かせて次の一挙手を待っているスナップであった。

農・工を問わず、もの作りを生業にしてきた爺さまは、子供たちにとっては何でも知っている生き字引であり、そこへ行くと、我々のようなサラリーマンあがりは、子供たちの憧れにはなれないようだ。

私の大切な友人に、塗り師のコマさんという人がいて、子供達は、休日には私の手を引いてコマさんの工房に押し掛けたものであった。

若宮大路を渡った所にあった銭湯は15年前くらいに閉め、最後の砦だった裏駅・御成り通りの銭湯も5年ほど前に街の風景から消え、それからは、路地裏の縁台の夕涼みの情景も見られなくなってしまった。

こんな日は、日暮れて一番星を見上げ、ちょっぴりせつない気分で夜風に誘われて

あの袋小路に迷い込む。

 

 

 

 

 

魯山人美術館脇の路地を入って

なかほどにある袋小路。

Vol.2     真夏の夜の夢

ちょっと大人の、夏の夜の鎌倉の愉しみ方をお話したい。

もうすぐ、ぼんぼり祭りがはじまる(6日から9日まで)。

鎌倉の夏と言えば、先ずこのぼんぼり祭りの夜のそぞろ歩きを挙げない訳には行かない。ろうそくの炎にゆれるぼんぼり絵と海からの風が心地よい。

さて、それだけでもまあ悪くは無いのだが、大人の遊びとしてはおもしろくない。

先ず、それなりに遊び心の下準備が要る。はじめに段葛をそぞろ歩く事になろうが、是非とも下駄で歩いてほしいものだ。女性が浴衣とくれば、男としては、かがすりに如くはないが、まあ今日び余りきまり過ぎも厭味ととられなくもない。

ちゃんとした着物地の甚平あたりでどうだろう。あと小物としてちょっとこだわってほしいのが、うちわである。写真のうちわは鎌倉在住の絵描きさんの猫の絵のうちわだが、ちょっとこじゃれた感じが粋である。

下駄を鳴らして奴が来る・・・ムッシュの歌ではないが、路地にひびく下駄の音、 とりわけ暮れ方とくれば、なにかときめくものがあるではないか。

私も未だに鮮明な、少しも色あせる事のない想い出がある。

或る夏の夜、八幡宮の剣道の稽古の帰り道、寿福寺へ折れる板塀の路地に入った時、向こうから着物姿の女性が静々と歩いてきた。

その風情がなんとも麗しく、白い羽衣が風に揺れながら近付いて来るようで、とても直視など出来るものではなかった。そしてすれ違った後の残り香・・・全身から力が抜け、汗臭い自分など、振り返る事すら出来なかったのである。

あれから数十年、私だけの、夏の夜の愉しみとして、下駄に着物姿でうちわを持ち、ぼんぼり祭りの後は、あの路地を残り香を愉しむようにそぞろ歩き、締めには

腕のいい寡黙な板さんが独りでやっている居酒屋・あさ月の暖簾をくぐる事に決めている。

猫の団扇 猫の団扇
今日から4日間・ぼんぼり祭り 今日から4日間・ぼんぼり祭り

             

Vol.1     源平池蓮占い

鶴岡八幡宮境内入って右側が源氏池、左側が平家池と呼ばれてきた。

蓮は平家の白、源氏の赤に色分けられる。

さて、この源平池の蓮であるが、私の観察では、翌年の景気を占って来た。

リーマンショクの前年、ひどく衰え、久方ぶりに上むき明るくなった世評をよそに、不安がまたも的中したのである。その後も元気が無く、ついに御神木の大銀杏が倒れると云う凶事が起こってしまった。

また夏が来て、項垂れたまま蓮占いを迎えた。ところがところが、長老もこんな盛んな蓮はかつて見たことも無いと語るほどの見事さなのだ。

ワールドカップの人気をさらった占いタコではないが、はたまた戦前の予想を見事に覆して大活躍してくれたサムライブルーのように、喪われた20年の衰退トレンドの大反転のきっかけになってくれたらと希望が湧いてきた。

もし、あるとすれば、衰退日本を徹底的に調べ上げた中国が出した答・円高。それに、日本に買い物旅行におしよせる中国人が買い漁るMadeinJapan(日本国内で製造された日本製品)。このふたつの事象から汲み取れる答えは、円安への歴史的なトレンド転換によってはじめてデフレから脱却するきっかけを得る事ではないだろうか?

そうそう、朗報がある。御神木の大銀杏、根っ子も・幹にも沢山の若木が伸びてきている。