小林敦

黒流し片口

 

Kobayashiさんとの出会いは、名古屋の若手作家を扱っているギャラリーで

壁に貼り付けてあった個展案内の写真であった。

確か”どんぶり百選”と云うタイトルだった。

これ残っていたら全部下さい!とオーナーに言った。残念ながら完売であったが

、自分用に使っていたものを、無理やり奪い取ってきた。

その後しばらく経ってからkobayashiさんのアトリエを訪ね、この非売の黒釉流し片口に一目惚れし、何回目かの懇願でようやく手に入れたものである。

この片口は私とKobayashiさんの絆を運命付けた作品となった。

どんぶりといい、片口と云い、ごくありふれた身近なうつわをもアートだわ!

と感じさせてくれるのがA.Koboyashiの真骨頂だと思っている。

出会いのどんぶり

 

                      忘れ得ぬ壺

 

作り手にとって、茶の湯の茶碗と普通の茶碗と何処が違うのか、一度聞いてみたかった事なので彼にそのまま素直に聞いてみた。

全く違うと強い答えが返ってきた。茶の湯の茶碗は心の準備から始まって、釉がけまで一時たりと緊張感と集中力を切らす事は出来ない。飯茶碗なら手が自然に動く感じで、他の作業と同時並行も可能だが、茶の湯の茶碗はエネルギーを使い果たす感じになるのだと言う。

茶の湯の茶碗とは何なのかを半泥子の茶陶展ではっきりと感じ取る事が出来た。

その三昧郷の境地の扉を今回開いたのではないだろうか?否、未だ開いてはいないとしても、手を触れ、押した事は間違いない、と感じる。

 

 
 Kobayashiのイメージにあったのは龍頭だと言う。皆それぞれ見る人によって龍の顔が違って見えるのが面白い。百の顔を持つ白い龍ビャクリュウと云う茶碗の銘が閃いた。

 

 

              銘ー 白龍(ビャクリュウ)