岸野 寛

信楽茶碗

 

偶然が重なり合ったにしても、不思議な縁に驚かされた。

伊賀の韓国料理屋さんに他の作家さんに連れられて入ってみると、壁にご当地の若手作家達の個展案内が沢山張り出されていた。

その中の一枚、まるで李朝中期のまったりした面取白磁のように見えなくも無い徳利に目が吸い寄せられた。これ誰?と聞き、夜8時を廻っていたと思うが、今から会えないかな、と言って家に押しかけてしまったのである。さっそくくだんの徳利を見せてもらうと白磁ではなく、デルフト釉調の面取徳利であったが、まったりした味わいを手にしてみて、ちゃんとねらって作られたものである事を感じた。

他に信楽の小壺等を見ても、丹念に作り、焼き、そして試行のうねりを重ねた上でねらいに近付けようとする作陶スタイルを貫こうとしているのが見て取れた。

私がそれまでに会った若手にはいないタイプだったので、余程厳しい師匠に薫陶を受けて来たに違いないと思い聞いてみた。

そのお名前を聞いて黙って頷いた。かの白洲正子さんのおめがねに適った福森さんであった。詳細は省くが、福森さんともうお一人かつてご一緒した事がある事を話したら、その時ご一緒されていた水墨画家がお父様だと聞いて驚いてしまった。

独立したら是非白萩で個展を行って頂く事を約し、その第一回個展で記念に私が求めた信楽の茶碗である。

 

 少しひかえめに灯りだす家々のあかりに、ふと鼻の奥がツンとするのは何故だろう?

 ただ懐かしいだけではない、忘れかけていた大切ないとなみを感じてしまう。

 京都思文閣での大きな個展の直前、岸野さんの陶房を訪ねた時、信楽大壺のような

 大作ばかりでなく、師匠に倣い、うつわも丁寧に作り続けてゆきたいと語ってくれた。