路地裏散策 再開のご挨拶
路地裏・界隈こそ街の素顔
町ではなく街、その街のぬくもりになくてはならないものが路地裏とその界隈の
ふところの深さにあるのではないでしょうか。
鎌倉散策の愉しみは、路地裏探訪にあります。
忘れられないサクラ
心に秘めたさくらのお話をしましょう。
かつて鎌倉文士たちに愛された憧れの居酒屋がありました。
山道の散策中に、鎌倉一の山桜の銘木を教えてくれた さくらのひと 、
その女性は最後の若女将さんだった事を、後日知る事になったのです。
そして数年後の或る日、桜吹雪のようにいのちを散らせてしまわれたのでした。

山桜はありました!あの さくらのひと の教えてくれた散りぎわの山桜です。
帰り道、春,おぼろの由比ヶ浜を見おろして、何もかも霞んでしまう年月に佇むしかない儚さを思わないわけにはゆきません。
4/9
希望の朝

3・11の丁度1年前、夜来の嵐に倒木した御神木の大銀杏。
その根から塩害にもめげず、ようやく人々の祈りが通じて甦った希望の若木である。8月6日からはじまるぼんぼり祭りの準備に入った鶴岡八幡宮、東国の鎮守府にとってもこれからの復興のシンボルとして、今年のぼんぼり祭りは、より多くの皆さんに、越し方と行く末を想う宵になればと希っている。
源平池の蓮 ぼんぼりの杭
小町大路(辻説法通り)特集 2012
妙本寺の蛍と八幡宮の蛍

鶴岡八幡宮の蛍は若宮と実朝の廟を挟んでの池に放蛍して行われている。
これは沢山の蛍が乱舞して壮観ですが、個人的には妙本寺の自生の蛍の方が風情があると思います。いずれにしろこの季節の短い夜の鎌倉の風物詩です。

源平池 明け方の桜

近隣お奨め店

八幡宮裏手口から宝戒寺門前を直進して大町に抜ける道が通称辻説法通りである。
妙本寺の入り口をちょっと過ぎた処に、小さな店構えにやたらどでかいちょうちんがぶら下がっている”ふくや”がある。
鎌倉は何を食べても高いばかりでと仰る方は、このふくやの暖簾を潜ってからにして頂きたいものだ。5,6人しか座れないカウンターの向うに"となりのトトロ"のような大男がいるのもご愛嬌だ。これ以上のコメントはよそう。並ぶのはゴメンだから聞かなかった事にしてくれ。
滑川残照
白萩からほんの少し歩いて左の露地を進むとこの風景がある。
藪椿の名残りの赤が、妙に心に染み入る。
宝戒寺枝垂れ梅
白萩寺と呼ばれる宝戒寺だが、枝垂れ梅もまた見事である。
丁度これから見頃を迎える。

妙本寺 静かなとき


駅に近い古刹にも拘わらず遠い時空を超えた空気感がある。
静かにただずんで、ときに浮き世離れした猫たちと問わず語りをしてみる。

VOL.10 2010:3/10 vs 2011:3/11
覚えておいでだろうか?
東国の鎮守府・鎌倉鶴岡八幡宮の御神木、実朝暗殺の舞台にもなった大銀杏の木が夜来の強風に倒木すると云う凶事があった事を。そう丁度あの日から一年目、千年に一度の大震災が起こった事になる。偶然にしては、余りに符丁が合いすぎている。
今朝明け方、再生を賭けた2本の大銀杏に願を懸けに行った。
VOL.9 お互い様支援ネットワーク
義捐金はファンドが大き過ぎ、市民感覚として、自分達の出せる範囲のお金では、もっと直接実感として納得できるアプローチがないものかと思って居られる方々は決して少なくないように思う。私もその一人だからだ。
個人として私が出来る事、そしてこれからずっと持続可能な支援として、無雙直傳英信流居合術・山内派・鎌倉道場の稽古料全額を、毎月支援金として使って頂く事に決めた。嬉しい事にこの4月から門人となった30代の2人とも、ボランティア活動を行って居り、被災地での炊き出しを行う活動に役立ててもらう事になった。
本日4/6日付けの読売新聞朝刊に支援金の募金の記事が掲載されて居り紹介したい。
1、アムダ(NPO法人)避難所などに医師を派遣。
1、日本フィランソロフィー協会・どの支援活動の団体に募金を振り向けるかを選考
し振り分ける。
1、中央共同募金会・”災害ボランティアのための募金”口座新設。
他にも、直接ボランティア団体の募金もあるようだ。
1、チャリティープラットホーム で検索
いよいよ、民間の”お互い様支援ネットワーク”の活動の春が来た。
vol.8 帰って来た源氏池のお主と白拍子
鶴岡八幡宮の境内、源氏池の畔で、早朝体操がある。もう、5年以上にはなるだろうか、雨の日以外はなるべく参加して来たが、福島原発で見合わせていた。
私にとっては皆さんが帰った後、源平茶屋の裏で源氏池を見ながら、木刀での素振り稽古をするのが、一日の始まりにもなっていた。
知らずしらず如何に今回の大震災に塞ぎ込んでいたかを思い知った。やはり、御神木の大銀杏が倒れたという凶事は、徒事ではなかったのだと思えてくる。
実は、もうひとつ気がかりな事があった。源氏池には体長1メートル程にもなる黒鯉がいて、昨年春の終わり頃までは、殆ど毎日姿を見せてくれ、その悠然とした姿から”お主”と呼んでいた。そしてお主が現れると、寄り添うように体長80センチ位の真っ白な鯉が泳いでくる、その白鯉には”白拍子”とあだ名をつけた。それが春が過ぎて、2匹ともふっつりと姿を見せなくなったのである。秋に2,3度白拍子だけ見かけたが、”お主”は姿を見せぬまま、一年にもなろうとしていた。心の底では、さしもの”お主”も寄る年波には勝てず、命を終えたかとあきらめていた。久し振りに気を入れなおして出掛けた昨日、源氏池の何時もの場所に、悠然と泳ぐ”お主”が姿を現したのである。いっぺんに救われる気がして”おぬし!”と叫んでしまった。白拍子もいる、無事で何より、元気で何より、また会えた、そう心でつぶやいた。
お主 白拍子
Vol.5 古都くらべ

京都武徳殿での5年の修行が明けてから、10月2日に開催された無雙直伝英信流居合術・山内派の大会が1年ぶりの京都であった。
修行に入った当初は"一見客お断り"に表象される京都的なるものは肌に合わないと始めから身構えていた。
しかし、すこしづつ扉が開いてみると、歴史に翻弄されながらも日本人の心の中で動じる事のなかった”都”として積み重ねられてきた諸々の厚みを感じない訳にはいかなくなっていった。
一言では難しいが、視えている、或いは見せている部分はトカゲのシッポみたいなもので、インサイダー(同朋)になるには、視えないもの、例えば共に良い時間を愉しめる人か否か、と云うような事が厳しいのである。どうやら、信用というのはそう云うものを指しているらしい事が段々と判って来た。
一方鎌倉は”来る者拒まず、去るもの追わず”というあっけらかんとした気質が"らしさ"ではあったが、これほどまで荒されてしまうと、京都に倣って、視えない核心はそれを共有出来る人達で守り抜いてゆく事を遅まきながら始めなければならない。
鎌倉に戻り、小町通りを歩いて、このままでは元も子もなくしてしまうと感じた。
Vol.4 流鏑馬神事
秋の大例祭の華、流鏑馬神事が9月16日に催される。今年は残念ながら休日ではないので、実況見聞記をお届けしたい。
今年の流鏑馬神事は、小笠原流御一門によって執り行われる。
ご当地に幕府が開かれていた時代には、もののふは弓とり者とよばれ、
武術としては、最も重きが置かれていたと見られる。従って、この流鏑馬こそ、
鎌倉武士の活きた絵巻のように鑑賞して頂けたらと希うのである。
追って、その愉しみ方について、実況してゆきたい。 (9・13)
早朝稽古(15日)
この早朝稽古が最も見応えがある。何故かと言えば、本番は沢山の人がひしめき合い、何度注意されてもフラッシュをたく不心得者が後を絶たず、神経質な馬が
どんな反応を示すか解らない為、射手は不測の事態を招かないよう、その事に神経を配らねばならず、人馬一体となって風になるその一瞬に集中出来ないからだ。
明朝(6時半頃)も稽古は行われる。本当に見たい方は先ずそれをお勧めしたい。
本番の愉しみ方 (16日)
さて、当日は午前中から人手が増え、開始の午後1時頃は人垣でよいポジションを
確保するのは難しくなる。そして事前のセレモニーも長く、第一順が終了すると、3割くらいの人波が崩れてゆく傾向がある。
しかし、流鏑馬の見所は少し場境に慣れてくる第二順からで、スピードを増す馬の走りの調子と、リラックスした射手の拍子とが一体となる躍動感のある醍醐味が味わえる。
その人出の引いた頃合を見計らって第三順までじっくり腰を据えて見て頂きたいのである。あたかも、絵巻の中に獲り込まれた様な深い感激の余韻にみたされよう。
流鏑馬神事ー2010
Vol.3 夕涼み
残暑がどんなに厳しくとも、夕暮れになればほっと一息付けるのがうれしい。
昔は、子供を連れて銭湯へ行くのがこの季節にしかない楽しみであった。
その頃は鎌倉駅周辺にも二軒の銭湯があり、番台をくぐると大抵ステテコで職人風(鎌倉彫)の爺さまが3.4人はいて、なにくれと子供達にかまって遊ばせてくれたものである。これが息子達には記憶に残るシーンになったらしい。
帰りに、路地をブラブラ行くと大抵縁台にステテコ姿の爺さまが夕涼みをしていて、間が良いとスイカのご相伴に子供たちはありつけたりする。
そうした何気ない人情や情景というものは、人が育つ為の原風景なのではないかと、ふと思う。
かつて、天安門事件の1年前、北京から瀋陽を経由してソ連との国境の町まで火車
(汽車の事)で行き、そこからジープで大草原を抜けてフルンノールの湖に旅した時、
街角で写真におさめたシーンの殆どが、数人の子供たちがしゃがんで爺さまを囲み、目を輝かせて次の一挙手を待っているスナップであった。
農・工を問わず、もの作りを生業にしてきた爺さまは、子供たちにとっては何でも知っている生き字引であり、そこへ行くと、我々のようなサラリーマンあがりは、子供たちの憧れにはなれないようだ。
私の大切な友人に、塗り師のコマさんという人がいて、子供達は、休日には私の手を引いてコマさんの工房に押し掛けたものであった。
若宮大路を渡った所にあった銭湯は15年前くらいに閉め、最後の砦だった裏駅・御成り通りの銭湯も5年ほど前に街の風景から消え、それからは、路地裏の縁台の夕涼みの情景も見られなくなってしまった。
こんな日は、日暮れて一番星を見上げ、ちょっぴりせつない気分で夜風に誘われて
あの袋小路に迷い込む。

魯山人美術館脇の路地を入って
なかほどにある袋小路。
Vol.2 真夏の夜の夢
ちょっと大人の、夏の夜の鎌倉の愉しみ方をお話したい。
もうすぐ、ぼんぼり祭りがはじまる(6日から9日まで)。
鎌倉の夏と言えば、先ずこのぼんぼり祭りの夜のそぞろ歩きを挙げない訳には行かない。ろうそくの炎にゆれるぼんぼり絵と海からの風が心地よい。
さて、それだけでもまあ悪くは無いのだが、大人の遊びとしてはおもしろくない。
先ず、それなりに遊び心の下準備が要る。はじめに段葛をそぞろ歩く事になろうが、是非とも下駄で歩いてほしいものだ。女性が浴衣とくれば、男としては、かがすりに如くはないが、まあ今日び余りきまり過ぎも厭味ととられなくもない。
ちゃんとした着物地の甚平あたりでどうだろう。あと小物としてちょっとこだわってほしいのが、うちわである。写真のうちわは鎌倉在住の絵描きさんの猫の絵のうちわだが、ちょっとこじゃれた感じが粋である。
下駄を鳴らして奴が来る・・・ムッシュの歌ではないが、路地にひびく下駄の音、 とりわけ暮れ方とくれば、なにかときめくものがあるではないか。
私も未だに鮮明な、少しも色あせる事のない想い出がある。
或る夏の夜、八幡宮の剣道の稽古の帰り道、寿福寺へ折れる板塀の路地に入った時、向こうから着物姿の女性が静々と歩いてきた。
その風情がなんとも麗しく、白い羽衣が風に揺れながら近付いて来るようで、とても直視など出来るものではなかった。そしてすれ違った後の残り香・・・全身から力が抜け、汗臭い自分など、振り返る事すら出来なかったのである。
あれから数十年、私だけの、夏の夜の愉しみとして、下駄に着物姿でうちわを持ち、ぼんぼり祭りの後は、あの路地を残り香を愉しむようにそぞろ歩き、締めには
腕のいい寡黙な板さんが独りでやっている居酒屋・あさ月の暖簾をくぐる事に決めている。

