中島勝乃利さん、やすらかに

陶房探訪 Vol.1 中島勝乃利さん設楽新陶房 2010 8/18-19

昨年瀬戸からこの設楽に陶房を移して、今年3月以来の訪問になる。

今回は本長篠駅に迎えに来てもらって、旧道を豊川添いに車を走らせて陶房にお邪魔をした。この辺りは神代の昔から恵みが多かったようで、そのふくよかな土地柄の奥の院に陶房が建っているように感じられたのだった。

広い敷地の中に陶房・ログハウス・母屋・ゲストバーがあり、彼をこの地に迎え入れた前オーナーの方の強い期待と思い入れが伝わってきた。

偶然にも鯉江良二先生がお供を連れてお着きになられたばかりとの事、初めてお話しさせていただく幸運を得た。

お話しを伺うと、そもそもこの陶房は先生にとっても、中島さんにとっても寝食を共にして制作活動に打ち込んだ運命を拓いた聖地との事(1985年~’91年)。 
鯉江先生は、”地球人としての日本の陶芸家”と云う足跡を世界中に残した先駆者として、その再評価は海外から起こるに違いないと胸に抱いていたが、お会いできてその人間的な器の大きさにすっかり魅せられてしまった。73歳との事だが、バーナード・リーチの陶房が在るセントアイピスに一月ほど滞在してロンドン個展の作品作りを終えて帰国されたばかり。驚くべきバイタリティーであり、ほんとにお元気で圧倒された。
夜、朧月の下で、この国の殆どの人が行き暮れて佇んでいるような世相について、
中島さんと話を交わす中で、ぽつんと言葉がついて出た。”勝ちゃんはやはり選ばれた人なんだわ。貴方にとっては、新たなスタートとなるターニングポイントで、招かれるようにこの再生の地に再び居るんだもの”
k,Nakashima未だ47歳・・やがてこのふくよかな地霊の恵みをうけ、鯉江先生の志の相伝者として世界を股に活躍する日を夢うつつに、白みはじめて眠りについた。
左-中島さん       中央-鯉江先生
左-中島さん       中央-鯉江先生

    陶房探訪 常滑・天竺 無鉄砲窯  鯉江明さん

15年間、白萩はお客さんと一緒に、人柄もよく、その人なりの独自性に着目して、これはと云う若手作家を個展を通じて応援して来ました。

 

 

私が彼に注目するきっかけになったのは、どうしても会ってみたいと思っていた韓国の陶芸家、宋さんを伴って白萩に来てくれた事だった。

かつて他の人が持っていた宋さんのどんぶりを手にした時の底なしの温もりが忘れられず、焼物と人との永い永いふれあいを全身で感じたのだった。

宋さんは日本語が全く通じない人だったが、想像したとうりの人柄で、いきなり抱きつきたくなるような途方もない底抜けのぬくもりを漂わせる陶人だった。

日本人にはもういない人だと深いところで感じた。

明さんは、この宋さんのような本物の陶人になりたいのだと直感した。

その歩みにふさわしく、彼は流れ去る現代の表層の流行には目もくれず、ひたすらいにしえからの人々の暮らしと焼物を愚直に作陶し続けているのだと思う。

白萩がメドにした三回目の個展までたどり着けた作家は十名に満たなかった。

多分鯉江明さんが最後の人になるかもしれない、そう思いながら初夏の常滑・天竺・無鉄砲窯を後にした。

嵐の只中    アトリエ A・Kobayashi

丁度その日は火入れの日だった。

 

一歩アトリエに踏み入れば、Kobayashi作品の内包するそれぞれの時空に導かれるように私の想いがゆらぎはじめる。写真で見る通り倉庫のような外観だが、一歩足を踏み入れれば世俗から解き放たれるオトナのワンダーランド・時空が捩じれるカオス・・・ この不思議な体験だけはここでしか味わえない。            

雑然としながらも、吹き寄せのように自然にその時々の作品があるべき場所に在る僅かな通路を辿ってゆく気分を、わたしは訪れる度に愉しんできた気がする。

 

 

                               乞うご期待!

 

  超大型台風直撃の最中、A ・ Kobayashiのルーサイトギャラリーでの初個展のサポートの為、彼のアトリエに向かった。車のラジオからは刻々と接近しつつある台風情報が流れ、三重の甚大な被害の実況が流れてくる。運転をかって出てくれた義兄も帰路を心配する。

アトリエでは、小林さんと,何故か足を引きずっているウルちゃんとで出迎えてくれたが、梱包の終わったutuwa類やこれから梱包作業に入る大きな作品等々とにかく内も外もざわめきたって落ち着いて見定める雰囲気ではない。先ず白萩用の買い付けは半分諦めて、個展全体の構成についてKobayashiと再検討を急いだ。夕刻、アトリエ全体が強風に煽られガワガワ鳴り出したので、もういよいよヤバイと急ぎ帰路についた。

その後台風の為2日間足止めを食らって鎌倉に着いたが、女房は仕入れに行ったと思い、どんなUtuwaが買えたかと聞く、何時もなら一点一点ワクワク気分で答えるのに、サカズキとカタクチ、サラと ハチかな、等と頼りない。こういう役回りは八方疲れる。

儲からない事ばっかり一生懸命奔走する、敬愛する”気まぐれ美術館の洲之内さん”の文章が懐かしく思い出された事だった。

 

追伸

ルーサイト ギャラリーの第一回個展は大盛況でした。

 

陶房探訪Ⅱ、伊賀・岸野寛さん    2011/5/11

           登り窯                    穴窯

 

 

 

京都から電話をかけ、又しても突然の訪問になってしまった。これで3度目である。

どうも最初の出会いからしてそうだった。

ともあれ、こんなに一足飛びに駆け上がった若手作家はそういないだろうと思う。

昨年のオール高島屋での企画展に続き、本年6月には京都・思文閣での個展である。

にも拘らず、白萩での個展を大切に扱ってくれているのが何より嬉しい。岸野さんの方から、次回の個展に向けて、現在の自分の仕事を見て欲しいと誘われていた。

大物中心に挑戦して来たが、器も大切に心を込めて作り続けてゆきたいのだと言う。

そうした作り手としての良心が多くの人を惹き付けるのだろう。

焼きあがったばかりの焼物は確実に包容力を増していた。表現としてはちょっと変だとは思うが、素直にそう感じたのだ。

以前はねらったフォルムにこだわり過ぎて少し窮屈な感じがみてとれた、今回自然に備わった逞しさが進境を雄弁に物語っていた。やはり仕事が作り手を大きくしてゆくとひとりごちした。

今回の移転企画展向けにも、無理を言って少しだけ出品してもらえる事になった。